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家族として幸せになるために 親

 AIDでうまれたこどもの幸せについて、親の立場から     「すまいる親の会」山田 (親)

115日 厚生労働・法務合同部会

親子法案について「すまいる親の会」の意見を述べてきました

 

家族として幸せになるために

AIDでうまれたこどもの幸せについて(親の立場から)

すまいる親の会 山田(親)

 

 26年前に治療をうけて出産しました。当時AIDは子供や周囲に話さないほうがうまくいくと医師から説明を受けました。墓場まで秘密をもっていく覚悟でした。治療中も子育て中も当事者グループはなく孤独な環境でした。子どもの成長と時を同じく、科学は進歩し遺伝子検査が一般的なものとなりました。子どもから私の目は、手は、誰に似たのと聞かれるたびに、いつかばれてしまうととても苦しかったことを思い出します。嘘を重ねて鬱病になりました。

 

 子どもが小学校2年生の頃、当事者グループに出会い勉強会に参加して出自を知る権利という言葉を初めて聞きました。大人になって出自を知らされた子どもたちのお話を伺いこのまま嘘を重ねていては本当の家族にはなれないと思い至り、子どもが13歳の時に勇気を振り絞ってテリングをしました。素直に受け入れてくれ、それ以降は嘘のない家族になれました。父と娘の関係は良好で、明るく楽しい日々を過ごし、あっという間に家を巣立ちました。現在社会人となり3年目、仕事も順調で充実した日々を過ごしているようです。子育てを終えたいま、子どもと3人家族で過ごした時間がどれだけ幸せな時間だったか、夫婦2人に戻るとなおさらあの頃にもう一度戻りたくなります。

 

 あるとき娘とAIDの現状について話しをしていると、「このままAIDがなくなっては困るな。」と言うので理由を尋ねると、「結婚相手がもし無精子症だったら治療を受けて子どもを持ちたいから。」と答えました。その時にこの子は自分の生まれ方を肯定的に受け入れているのだなと思いました。自分はひとりっこで寂しかったので20代のうちに出産をして子どもを2人持ちたいという夢があるようです。

 

 今感じていることはAIDが岐路に立たされていることです。悪い側面ばかりが前面に押し出されていて、幸せに暮らしている家族が見えていないために、治療への道が閉ざされてしまうのではないかと危惧しています。うちの娘は自分が特別な存在だと思って育っていません。そのため自分のやりたいこと、楽しいことを優先してきており、親の私のようにすまいる親の会でボランティアをするという発想も持っていません。自分の生まれ方に不満や大きな問題を感じていないので、これまでも、この件に関してなにも活動を行ってきておりません。今回、法案のために議員会館で発言するということも、唐突な事柄でしかありませんでした。

 

 家族史を振り返ってみると、もっと楽しく時間を過ごせなかったのかと残念に思います。

 2003年に法整備がなされていればと悔やまれます。テリングまでの苦しい日々とその後の楽しい日々。楽しいながらも出自がわからないことへの申し訳なさ、出自がわからないことがかわいそうだという社会の声、責められているような気持ち、いつも口の奥で親しらずうずいているかのような、あるいは小骨がのどにささっているかのような、そのような気持ちを抱えていました。負の側面が残ったままでは、親子法が整備されても、AIDへの社会の見方は大きく変わりません。家族の精神的な負担も軽減されません。ドナー不足も解消されません。まずは子どもの権利を保障した法整備によって地ならしをして、第三者のかかわる生殖補助医療による、より良い家族作りの一歩を踏み出したいと願います。多様な家族のあり方を受け入れるきっかけになるように、これからの子どもたちのために未来を見据えた法整備をよろしくお願い致します。

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